ナナメの関係

先日20歳になったばかりだという女の子と話してたら、

私にこんなことを話してくれました。


「中学・高校・大学という学生時代には、

つきあう人といえば同世代の人間ばかりで、

年上の人と話す機会というのは、

親族や教師、そして近所の人やバイト先の人など

ある意味「関係が明白な人たち」に限られていました。


ところが最近、一般のサークル活動や

ボランティアなどに参加するようになったところ、

関係性がまったく無い人たちとの交流の中で、

新しい発見の毎日が楽しくてたまりません。

これまで、なんと小さな世界の中で

モノを見たり考えたりしていたのかを思い知らされました。

『井の中の蛙』っていうのは、こういうことなんですね 」

と笑うのです。



確かにそうでしょうね。

彼女の言う通り、若い頃の人間関係というものは

親や教師、バイト先の店長といった「タテ軸」の関係と

同年代の友人や知人といった「ヨコ軸」の関係で

すべてが成り立っていたように私も記憶しています。


ところが、社会というものに一旦身を置いてみると

この「タテ軸」と「ヨコ軸」には当てはまらない

「ナナメ軸」という関係が発生するんですよね。


「友達」と呼ぶには少し遠いけど

「親や教師」よりも、なんだか近い存在。

友達に相談しても解決の糸口が見つからないことも、

自分より経験や知識が豊富なナナメの存在の人には、

親や教師には相談出来ないような悩みも

すんなりと話せてしまう。

こんなナナメ軸の人間関係というのはとても大切で、

自分の人生にとって、きっと大きな存在になる

人たちのような気がします。


若い頃はどうしても

同年代の友人との付き合いばかりを選び、

世代が違う人たちとの交流を煩わしく感じるものですが、

それでは視野が広がりません。


新たな知識や経験を促してくれるもの、

そして自分を成長させてくれるものは

今までとは違う人間関係の中に存在するものなのです。

若い皆さんには、是非この「ナナメ軸」の人脈を

積極的に広げていただきたいと願うオヤジです ^ ^

トラウマ

ある女性と会話中に、

交際中の彼との悩み相談が始まってしまいました。

「今回の彼とは真剣に結婚を考えているので、

どうしても別れたくないんです」とのこと。

「エッ? 別れ話でも出てるのかい?」と尋ねると

今のところ順調な交際を続けているとのこと。

「なら、問題ないじゃねえか ^ ^」と笑うと、

「これまで、付合った人に対して

真剣に結婚を考えるようになると別れてしまう」

という度重なる経験から、

彼女はかなり臆病になっているようでした。

これは困ったものですね。

どうやらトラウマとなっているようですが、

この種の心的外傷は、内容は違えども、

誰もが抱えている問題のような気がします。

私は心理学の専門家ではありませんから、

滅多なことをいうとお叱りを受けそうですが、

素人の無責任オヤジとしては

「問題は、相手じゃなくて自分の中にあるんだよ」

と思うのです。

自分の問題を相手を通して解決しようとしても

どうかなるものではないし、

まして、それを背負わされた相手の方は疲れてしまい、

いつか逃げ出すのは当然と言えなくもないのかな?

さまざまなトラウマ(こだわり)というものは

自分が頑なに握りしめているだけで、

手を開けば、それは落ちるだけのことのような

そんな気がします。

まっ、実際はそんな簡単なことではないと

オッサンも思いますけどね 。

話はちょいと逸れてしまいますが・・・

交際中の彼や彼女、もしくは夫や妻などの

浮気を心配して疑心暗鬼にかかるという人を

これまで沢山見て来ました。

そういった心配や不安を抱えている人の多くは、

実は「浮気をされた経験がある人」か、

もしくは「浮気をした経験がある人」の

どちらかだとオッサンは思うのです。

人間は自分の知ってることでなければ

ものを考えることはできません。

従って「浮気によって傷ついた経験がある人」か、

もしくは、浮気をする人自身しか

相手の浮気など心配しない筈です。

実際「浮気」というものを知らない人に

「浮気の心配」なんて出来ないんですから ^ ^

ということは、つまり

「すべての問題は自分自身の中にある」

ということなのです。

交際相手に別れを告げられるのではないか?

そんな不安など、現実にはどこにもない訳で、

それは自分がつくりあげているだけの妄想です。

そんな不安な気持ちから、

相手の機嫌をとるばかりの行動に走ってしまうから

いつぞや流行った「都合のいい女」状態に

自分から陥ってしまうのです。

まずは、自分に自信を持って欲しいと願います。

そんな自信が自分に輝きを生み・・・

その輝く暖かい光に包まれた相手は、

決してあなたから離れようとはしない筈だと

オッサンは思うんですけどね ^ ^

センス・オブ・ワンダー

子どもたちの世界は、
いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと好奇心でいっぱいなのでしょう。

もし、私たち大人が
この「センス・オブ・ワンダー」
(神秘や不思議さに驚嘆する感性)を
失うこと無く持ち続けることができるなら、

つまらない人工的なものや金を得ることに
夢中になることなど無いように思えます。

先日、勉強会に参加して下さった若い女性が
こんなことをおっしゃいました。

「子供が夢中になって色んなことを訊いてきても
答えられない自分が情けないんですよね。
自然のことなんて説明もできないし・・・
道ばたの花や、鳥の名前も知らないものですから」

私も娘が幼いせいか、こう思うんです。

自然の現象や、花や鳥の名前なんて
大きくなる過程で、子供たちはいくらでも学べます。

だから、子供にとってはもちろん、
どうやって子供を導けば良いのかと悩む親にとっても
「知識」なんてそんなに重要なことでは無い気がします。

それよりも「感じる」ことを大切に育てていくのが
何より重要なことだと思うのです。

子供たちが日々出合う、驚愕のひとつひとつが
やがて「知識」を欲する因子となるような、

情緒や、豊かな感性を育んでいけるように導くことが
親の役割だと私は感じます。

子供たちに難しい知識を教える必要はありません。

子供たちのそばに、いつも寄り添ってくれている
妖精たちがしてくれているように、

美しいものを美しいと感じる心、
未知なものに出合ったときの感激と好奇心を

一緒に楽しめる親になりたいものだと
いつも思うオヤジです ^ ^