ポジティブ

私がお付き合いさせていただいている経営者の方々の中には、それはもう「超」が付くほどにポジティブな社長がいらっしゃいます。

それは、とても良いことなのでしょうが、反面、度を超したポジティブさというものは、問題を引き起こす原因ともなりそうです。


実は、そんな経営者が率いる会社には、何故かネガティブ思考な社員が多く、中には、経営者の奥様が鬱病だったり、お子さんが引き蘢りであるという現実を見たりするのです。


「類は友を呼ぶ」という言葉のごとく、まさに、プラス思考の人間には同じようにな友が集まるものですが、それは、価値観やモノの考え方が似た仲間を引き寄せるという類いのものであり、実際のところ、あくまでも「仲間」や「友」という部類であって、どうやら「家族」や「社員」では無いようです。


人は誰でも波動というものを持っていますが、その波動というエネルギーは、個人で存在する場合は大きい方が良いのでしょうが、会社や家庭という、ある意味「運命共同体」とも言うべき集団の中では弊害を引き起こす原因になりそうです。


エネルギーというものは、プラスとマイナスの量が等しくなることで初めて力を発揮するものであり、ポジティブという思考エネルギーは、ネガティブのエネルギーと等しくなることで均等を保とうとします。

すなわち、ポジティブな人間が居れば、同じだけのネガティブな人間が存在しなければ共同体は成り立たないのです。

権力を持つ者が、スーパーポジティブであるという会社や家庭という「逃げられない集団」の場合、プラスのエネルギーが増大するばかりでは暴走する危険性があり、誰かがネガティブにならない限り集団のバランスが保てないことから

社員や家族がその役割を担って、マイナスエネルギーを抱えてしまうのでは?などと想像してみたりしています。


人というのは、誰かとの関係性の中でポジティブにもネガティブにもなれるものです。

私の知る限りでは、ポジティブシンキングである人のほとんどがネガティブ思考を「悪」と捉え、ものごとを必死で良い方向に考えることで、自分が抱えそうになる不安を打ち消そうとしてるように思えてなりません。

そして、その結果、自分以外の人たちの弱さや苦しみを否定したり、弱さと闘っている人たちを拒絶してしまいます。

私が敬愛する、人生の先輩諸氏に共通することは「受け入れる」という姿勢です。

「なるようにしかならないから、努力しましょう」と、常にありのままを受け入れ、その中で自分のできる最大限の努力をなさいます。

人間も、地球と大自然の一部なんです。

必死で反発しようと感情を抑制したってどうにもなるものではありません。

素直に、あるがままを受け入れることも、時には大切なことではないのかな?なんて思うオヤジです。