人格者

今朝、クライアントへ打ち合わせにお邪魔した際、こんなことがありました。

重要な書類とデータを用意するはずだった担当者から、急な熱が出て出社できないとの連絡が入ったのです。

「オマエ、なにやってんだ!! 葛西さんにわざわざ来てもらってんだぞー!!」

大声で部下を叱っていらっしゃるのを、横から電話を奪いとり「オレだったら、また来るから大丈夫!」と声を掛けると、

上司の方は私に深々と一礼をしながら

「解った・・・で、大丈夫か? 仕事のことは心配せんでいいからゆっくり休んで直せよ」と優しく言葉を添えて電話をお切りになりました。


普段から「人格者だなあ」と思っていた上司の方でしたが、やはり間違いではなかったなあ・・・と感じたものでした。

私に対する申し訳なさを前面に押し出しながらも、部下の身体を気遣うお気持ちに、一時間ほどの道のりを無駄足を踏んでしまったという、そんな気持ちをまったく感じること無く、楽しく世間話をして帰ってきたのでした。


人格者とは、なにか問題が発生した時、いかに適切な判断をすることができるのか?ということでもあると思いますが、迷惑を掛ける相手の気持ちも考慮しながら、部下の身体を案ずるということはなかなか難しいものです。

うっかりすれば、この場合私が怒り出す可能性もある訳で、まずは私に対する詫びの気持ちを最大限に表現するために、部下を大声でお叱りになったのであり、

本当は部下の身を案じていらっしゃるんだろうなぁ?という、暖かい気持ちにあふれていました。

きっと部下の方も、最初から身体を心配されたならば、「申し訳ない」という気持ちが更に大きくなったところを、最初に大声で怒鳴られたことにより、かえって安心してゆっくり休めるのではないだろうか?と感じ、

あらためて、この上司の方の対応に関心してしまったオヤジなのでした。

叱りの達人

どうやら、なぜか皆さんからは
「温厚なオヤジ」だと評価をいただいてるようですが、
私だって時折、鬼のような形相で
怒鳴ってしまうことがあります。

不幸にも、初めてこの被害に遭ってしまった方は
かなりのショックを感じられるようで、
大変申し訳なく思ってはいるのですが・・・



実は私にも、すでに亡くなってしまいましたが、
「叱りの達人」と私が勝手に銘打った
心の師がいらっしゃいました。

普段どんな失礼な言動をしても
穏やかに笑って下さっているのにもかかわらず、
突如形相が一変して、鬼に変貌することがあるのです。

今でも鮮烈な記憶として残っているものに、
こんなことがあります。

ある共通の知人に関する噂話の流れから
うっかり私の主観を言ったところ、

突然テーブルを叩きながら

「オマエはそんな立派な人間か!!」

「口が裂けても、人の悪口は言うなー!!」と、

一時間にも及ぶ説教を受けたのでした。

私としては悪口のつもりではなかったものの、
言い訳など通じる筈もなく
この状況から早く逃れたいとの一心から、

「肝に銘じて、もう言いません」と
土下座して謝ったものでした。

おかげで、この方が亡くなった今でも
自分がうっかり人様の悪口を言いそうになると、
この時の光景が瞬時によみがえり、

「オット!! ヤバイ・・・」と、
言葉を飲み込んでしまうのです。

人を叱るというのは、とても難しいことです。

しかし「軸がぶれていない叱り方」というものは
必ず相手の成長を助けるものだと思うのです。

かくいう私も、この「叱りの達人」によって
とてつもない勢いで、
精神的な成長を助けられたのではないかと
感謝しているしだいです。

「子供や部下を上手く叱れない」と
時折ご相談を受けることがありますが、

アナタ自身の「軸」はブレていませんか?

アレもコレも怒っていては何の意味もありません。
何を叱るのかという基準をしっかりと定め、
一時の感情で「怒る」のではなく、

相手の成長を願うことを目的として
愛を込めて「叱って」あげて欲しいと願う
オヤジなのです。

自分の未来像

人は、自分が過去に蒔いたものを
今、刈り取りながら生きていますが、

同時に、未来に収穫したいと願うものを
まさに今、蒔きながら生きているんですね。

それは、食事をとったエネルギーで
その後の活動しながら、

同時に、その活動は未来の食事を得るための
作業であることと共通しています。

今の自分自身を形成しているのは
すべて、過去の自分の思考と行動だということを
私たちは忘れてはならないと思います。

今、この一瞬一瞬に決定することが、
常に未来の自分を形作って行くということを
しっかりと心に刻むことができれば、

未来の自分は、どんな自分にもなれる筈です。

今、自分は何を選択しているのだろう?

現在の自分の選択は
来るべき未来の、自分の理想像なのか?

自分の未来像が決定するのは決して未来ではなく、
まさしく今、この瞬間なのだということを

改めて心に刻みたいものだと思うオヤジです。