心の成長

昨夜、若者たちと深夜まで語り合いました。

失礼ながら、若者を舐めてましたが

なかなか勉強してるものだと感心し、

説得力のある意見に脱帽しました。

ただ、少し気になったことですが、

知識と知恵はまったく異なるものであり、

ものごとは正解不正解ではなく、

本質というものを見極めなければ

何も見てないのと同じであるということでした。

イギリスのことわざに

「学問のない経験は、経験なき学問にまさる」

というものがあります。

同じように「学者の取った天下なし」

という言葉にもあるように、

政治学者が国を治められる筈も無く、

ついでに言えば、経済学者にも

会社の経営が出来るわけがありません。

本来ならば、知識が増えれば増えるほど、

逆に正解と不正解を断定できなくなるのが真実であり、

何かを断定してしまった瞬間から

思考はストップしてしまうような気がします。

たとえば、子供時代に見える世界・・・

そして、20代・30代で見える世界・・・

さらには、50代を過ぎてから見える世界・・・

同じ一人の人間でも歳を取るにしたがって

全然見え方が変わってくるものですが、

ただし、ものごとの本質というものは常に同じです。


音楽で例えるならば、

「やっぱりモーツァルトが一番だね」

なんて小学生の子供が言ったら、

きっと笑ってしまうじゃないかと思うんですが、

じゃあ、50代の人が

同じことをを言ったらどうなんだ?と言えば

やっぱりそれも少し違うと思うのです。

子供の頃と50代になってからでは

モーツァルトの曲は違って聴こえるのは当然ですが、

更に70代・80代になって聴けば

もっと違う筈なんです。


じゃあ、なにが正しいのかと言えば、

「モーツァルトが一番だ」ということよりも、

モーツァルトの曲は聴く度に、

そして演奏者が変わるたびに、

その都度違う表情が感じられて素晴らしい。

というのが本質なんじゃないのかな?

なんて思うのです。


すべてのことを決めつけないこと。

そして、無理に正解を導き出そうとしないで、

その時々で柔軟な心のクッションを持つことが

本質を見極める上で重要なことではないのかな、

なんて、ふと思ったオヤジなのでした。