人妻からのメール

娘のように可愛がっている女の子が居ます。

とは言っても、もう30過ぎで子供も居るんですが。

朝っぱらから電話があり、

「ねえ、今日どうすんのよ? 早く返事してよ!!」

と突然怒られた。

「・・・エッ? どうすんのって、なにが??」

意味が分からないから聞き返すと

食事のお誘いをメールでくれたらしい。

彼女からメールなんて届いてないはずだが?と

慌てて確認したが、やはり見当たらない。

まさか迷惑メールにでも・・・?

と探してみるものの、

毎日大量に届く迷惑メールの中には

それらしきものが見当たらない。

「件名はなんだ?」と尋ねると

なんと、「う~ん・・・なんだっけ・・・?」

『人妻からのお誘い』だったかな?」だって。。。

オマエ・・・アホじゃねえの・・・ ・・^ ^;;

ハイハイ、確かにありましたけどね。

この件名で迷惑フォルダへ直行しなかったら

ぶっ壊してやりたくなるくらいだから、

パソコンには全然罪は無い。

まさかこんな件名で

メールを送って下さる女性も居ないだろうけど、

他にもいらっしゃるのなら

どうか「メールを送った」と教えてね。

老後の目標

久しぶりに知人と酒を交わしました。

年上ではあるものの、仕事の関係で親しくなり
プライベートでもお付き合いをさせていただく方で、

一昨年職場を退職されたため
会う機会がまったく無くなったものですから、
「どうしてる?」とこちらから連絡したら、
待ってましたとばかりに会うことになったのでした。

退職後は悠々自適な生活で、
楽しい毎日を送っていらっしゃるものと
私は想像しておりましたが、

ご本人がおっしゃるには
「確かに自由時間があるんだけど、
逆に、することが無くて毎日退屈している」とのこと。

そういえば、現役の頃の颯爽とした容貌が
「老けられたなぁ」と感じるほどに変わっていました。

正月の話題になった際、
「いかに自分が仕事人間だったかを痛感している」と
ふと、ため息まじりにおっしゃいました。

退職後自宅に届く、自分宛の年賀状はほとんど無く、
妻や子供宛の年賀状ばかり。

毎年会社に大量に届いていた多くの年賀状も
今や自分宛に来る筈も無く、

いかに個人としての人間関係を築いていなかったのかと
今更ながらに気づいたとのことでした。

会社という組織の中でバリバリと働き、
高い地位に就いていらっしゃった方ほど、
退職後の人間関係に落胆なさることが多いのだろうと
あらためて気づきました。

しかし、私は思うのです。

子供時代から学生時代という非社会人の頃の友人は
損得勘定を含まない人間関係であり、
生涯の友としての関係を保ち続けられるものだとすれば、

社会人になり、仕事においての人間関係では、
損得関係や義理が絡むのは致し方ないものです。

だからこそ、退職したあとは
もう一度、損得関係抜きの人間関係を築くことが出来る
素晴らしいチャンスではないかと思うのです。

残された人生の中で、
新たに「死ぬまで付き合える友人」を何人作れるのか?

そんなことを老後の目標のひとつに掲げることも、
素敵な人生の楽しみ方ではないのかと
ふと思ったオヤジなのでした。

自分に足りないことを言う

月に何度か「講師」という立場で

セミナー等でお話をしていると、

実は「自分にもできていないこと」について

お話をせざるを得ないことがあります。


立場上、皆さんに「先生」と呼ばれながら、

自分自身もできていないことについて偉そうに語ることに、

もう一人の自分が

「お前、良くそんなことが言えるもんだねぇ」と

シラーッとした顔で私にささやきます。

すると、受講生の皆さんにも

そんな顔で見られてるような気がしてしまうので

これは結構つらいものなんですよね。


しかし、最近気付いたのです。

「自分もできてないことを人に言うこと」

それも単なる対人関係上ではなく

沢山の皆さんの前で言ってしまうことは、

それを口にした以上、

自分自身が「そうならざるを得ない」という

結果をもたらすという効果があるのです。

ですから、私が講演で喋ることは

ある意味「私自身も今はできてないかもしれないが、

そうであるように私は頑張るつもりです」という

他者に対しての「宣言」であるような気がします。


面白いもので、セミナー等で偉そうに語ったことは

その日のうちに現実に起こるものです。

「腹が立つことがあれば、怒る前にひと呼吸して

本当に怒るべきことか考えましょう」と言えば、

講演後に腹が立つことばかり発生してしまうし、

「他者やまわりの状況にイライラすることは、

自分が勝手につくりあげた感情であって

決して他人がもたらしたものではありません」

などと言ってしまえば、

担当者のヘタな進行で次の約束の時間に間に合わず、

イライラしている自分がそこに居て

電話一本かけて「すみません、少し遅れます」と

一声謝れば済むだけの話じゃねえか・・・と

講演で喋った自分の言葉に気付かされます。


自分が言ったことを一番聴いているのは、

実は他者ではなく、自分自身なんです。

だから「気づき」が「気づき」を呼ぶんですよね。

人に教えることは「自分が自覚すること」に繋がります。

「自分にできないことを人に言うな」と言ってしまえば

それで終わりなのですが・・・

「人に言ったことで、そうせざるを得なくなる」

というのも、また事実なのです。

人に喋ったことは、必ず自分に帰って来る。

そう思ったら、

「今、自分が自覚しなければならないことは?」と、

次回のセミナーで、自分に与える課題を

妙にワクワクしながら探しているオヤジなのでした ^ ^