イエス・・・アンド

「あの人には何を言っても仕方ないですから」

あるショップのスタッフたちが、

リーダーに関して語った言葉です。


確かにそういう人って存在しますから

あえて否定はしませんが、

果たして「何を言っても・・・」という時、

どんな感じで言っているんでしょうね?


ひょっとしたら、相手に対して

「批判的」ではありませんか?

「攻撃的」ではありませんか?

「自分目線」で言ってませんか?


人に意見を言う時に効果的だと言われるのが

「イエス・・・バット」の方法です。

まず相手の意見を肯定してから

自分の意見を述べる方法ですね。

ところが・・・

実はこの方法にも欠点があって、

よほど上手に自分の意見を述べなければ、

批判的に聞こえてしまう場合が多いのです。


だから、下手に使うと

相手はさらに頑なになってしまいます。


そこで、私がお勧めしたいのが

「イエス・・・アンド」の方法です。

「それはいいですねぇ!! 

じゃあ、こういうのも一緒にどうでしょう」と

まず肯定してから、自分の意見を上乗せするのです。

言われた方は自分の意見を肯定されているため、

その後は、相手の意見を聞く耳を持てるのです。



自分の意見を言う場合は、

実は「何を言うのか」ということよりも、

相手に「どう聞こえるのか?」ということが

コミュニケーションでは重要なことなのです。

批判的でなく・・・攻撃的でもなく、

自分の意見の上乗せと感じさせることができれば

人はすんなりと受け入れるものです。


手強い相手には「イエス・・・アンド・・・」

という方法を使ってみてはいかがかな?

なんて思ったオヤジなのでした。

あやつり人形

目に見えるものは、「重力」という形で
地面に向かって働いています。

そして、目に見えない力は
天に向かって働いています。

すなわち、
私たちは天から頭を引っ張られ
そして、地に足を引っ張られながら、

その間に立つことで
「あやつり人形」のように
存在しているように思えるのです。

「あやつり人形」という言葉には
いささか語弊がありますが、

実際、人間などというものは
いくら偉そうなことを言ったところで、

天の力を常に身体全体で受け止めなければ、
立つことも出来ない、ちっぽけな存在なのです。

日々の暮らしの中では
思うようにはままならないことがあり過ぎて、
人は地面にしゃがみ込みがちですが、

苦難に直面した時こそ、見えない力を信じて、
シャキッ!!と立ち上がり、姿勢を正すことが

天からの力を最大限に受けるためには
必要なことなのではないだろうか?

なんて思うオヤジです。

あばたもえくぼ

昔から「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」という
言葉がありますね。

好きな人の目には、相手のあばたも
えくぼのように見えるという喩えです。

ひいき目で見てしまえば、
どんな欠点でも長所に見えるんですよね。

でも反面、愛は盲目であり、
客観的な見方ができなくなってしまうという
警句のことばでもあります。

これを人の魂の成長という視点からみると、
大切なことなんだなぁ、と気付きました。

自分に対して「あばたもえくぼ」と
常に自分の味方をしてくれる人が居るならば、

何かに失敗して評価を下げることがあっても、
それを恐れずに挑戦できるだけの安心感と、

失敗したとしても、そこから学ぶことで
いつも前向きに取り組んでいくための
エネルギーを与えてくれるような気がします。

人の魂が豊かに成長していく過程では、
必ずそういう人がそばには必要なんでしょうね。

きっと多くの場合、
この役は、母親が演じてくれているんですよね。

通常は「親バカ」という一言で片付けてしまえば
終わりのようなものですが、

母親の深い愛情に包まれているという実感は、
歳をとればとるほどに実感してしまいます。

本当にありがたいものです。
感謝しなければなりませんね。