「アイツは使えない」は諸刃の剣

あるクライアントの会社で

打ち合わせをしていた際の出来事です。

担当者の若者が席を立った際に、

「・・・ったく、使えないヤツでして」と

上司の方がおっしゃいましたが、

いったい、どういう意味で出た言葉なのかな?

と、ふと疑問に感じてしまいました。


私に対しての申し訳なさから発せられ

ある種の「社交辞令」であるならば、

その気持ちは有り難いものでありますが、

本心でおっしゃっているのなら、

それは問題発言ではないのかな?と

思ってしまったのです。


いろんな言い方はありますが、

誰かのことを「アイツは使えない」という

類いの言葉として発する場合、

その多くは

「自分にはあの人を使いこなすだけの能力がない」

と白状してることと

なんら変わりがないような気がします。


自分の思い通りに他人が動く筈もありませんが、

しかしながら、職場ではそれをある程度は

動くように仕向ける能力が問われるのが現実です。

そんな場合に出て来る言葉が

「アイツは使えない」なんですが・・・

その言葉って「諸刃の剣」じゃないのかな?

なんて思ってしまうのです。



実際のところ「使えない」んじゃなくて

そう言う方に限って「使いこなせていない」

というのが、正直な感想です。

他人を「使う」という気持ちがある限り、

決して動かせるものではありません。

社内はもちろん、世間での肩書きを外せば

みんなタダの「個人」です。

常に自分の立場や肩書きに依存なさってる方は、

それを外して「個」として誰かと対峙した場合に、

往々にして無力であるという方が

多いように見受けられます。



上司であれ部下であれ、お互い人間同士です。

社内では、それをうっかり忘れがちになりますが、

上下関係を外した「個」としての人間関係、

人と人としてのコミュニケーションを

いかに上手くとれるのかが、

「人を動かす」のではなく、

「人が動くように仕向ける」


という能力なんじゃないのかな?

そんなことを、ふと思ったオヤジなのでした。

反抗期は幸せ探し

知人の中学生になるお子さんが反抗期で
「それはもう大変ですよ」とおっしゃいます。

アハハ・・・そりゃあきっと大変でしょうね。

でも、子供の思春期や反抗期は
大人になる準備なんだからしょうがない。

子供は、自分が周囲の人間や物事と
これからどう関わって行くのかを探りながら、
懸命にもがいているのでしょう。

その、もがき方が尋常じゃないから困ったもので、
「もう少し穏やかにできないもんかねぇ」と
親は困るんですけどね。


オヤジは思うんですよ。
「子供たち、大いに暴れまくれ!!」ってね。

暴れた分だけ、親も成長できるんですから。

でも・・・子供は暴れながら何を考え、
そして、何を見てるんでしょう?

ひょっとしたら
「親の幸せ具合い」を見てるんじゃないのかな?
なんて想像したりします。

反抗するのは、自分の「幸せ」を探してるから。

親が幸せそうなら
「大丈夫・・・自分も幸せになれる筈!」って
きっと安心するんじゃないのかな?


だから、親が幸せそうに見えなかったら、

「もっと幸せになって欲しい」と
気付かせるために反抗してるのかもしれません。


子供は親を選んで生まれて来たんだと聞きます。

それが事実なら
「自分が選んだ大好きな親が幸せになって欲しい」
きっとそう願ってる筈です。

だからこそ、必死になって
何かを気付かせようと暴れてるのかも?

子供の思春期で悩んでるお父さんお母さん。

「あなたのおかげでこんなに幸せだよ」って
お子さんにアピールしたらどうでしょう?

子供も安心して、少しは大人しくなるんじゃないのかな?

なんて、いい加減なことを言うオヤジなのでした。