納豆から元気をもらう

冷蔵庫の納豆を取り出して食べようとしたら、

「賞味期限を過ぎてるんじゃないの?」との家内の言葉に
ふと見ると、確かに3日前の日付でした。

賞味期限などまったくおかまいなしで、
「一口食べて変だったらヤメりゃいいじゃねえか」といういい加減な性格ですし、

まして「納豆ってもともと腐ってるものだ」と、美味しくいただきながら、ふと思ったのでした。


「腐る」のと「発酵させる」とでは、どえらい違いじゃねえか・・・なんてね。

腐ったものを食べれば害になるけれど、発酵させたものを食べれば身体に良い。


なるほど・・・これだよ、人生も。

なんて、オッサンは重大発見をしたのです。


いい加減に生きてりゃ、歳をとるにしたがって自分の意志とは裏腹に、周りに迷惑を掛ける一方。

しかし・・・真剣に生きてりゃ、歳をとっても少しは周りに良い影響を及ぼすこともできるだろう。


失敗続きの人生だけど、誰かのために挑戦した失敗なら、きっと「腐った」んじゃなくて「発酵」しつつあるんだと、勝手な持論をつくりあげながらも、


あらためて納豆に勇気をもらった、アホなオヤジなのでした。

ステージを変える

昨夜は若い皆さんが集まる勉強会で、沢山の有意義な会話をさせていただきました。

その中で、ある方がこんなことをおっしゃっていました。

「人生や仕事の壁にぶち当たってきた今、自分の生き方やステージを変えたいんだけれど、今一歩、踏み出す勇気がない」って。

そうですよ・・・みんながそうなんですから、決してアナタだけではありません。

人は現状によほどの不満がない限り、変わろうとしないで現状を維持する方を選ぶものです。

だって、その方が楽なんだから。

自分の居心地の良い日常から、何が待っているのかも分からない壁を、わざわざ乗り越えて次のステージへ登るなんて、そんなことをしたいとは誰も思わないでしょうし、まして、そんな勇気がある人なんて滅多に居ないのが普通だと思います。

でも、自分の前に壁があるって、気付いただけで成長した証ですよ。
壁に突き当たる所までは進んだんですから。

あとは勇気と決断をもって、この壁を自分で乗り越えるしか方法はないのです。

でも、自分に何か奇跡のような事が起こるのを期待して、一生待っていても、何も起こりませんからね。
奇跡ってものは、起こそうと思う人だけに起きるんです。

人生の次のステージへ移ろうと思ったら、今居るところから離れる決断をしなければなりませんが、
決断ができた人には、オヤジからひとつアドバイスしましょう。

次のステージが上にあると思うのは大きな錯覚であり、高い壁を乗り越えようとするから難しいんです。

本当はただ、飛び込む勇気さえあればいいんです。

飛び込む勇気と、覚悟の深さが、実は次のステージの高さなんです。

どうですか・・・思い切って飛び込んでみませんか?

邂逅

「邂逅」(かいこう)という言葉があります。

思いがけない出会い・・・

そして、偶然の出会い・・・という意味です。

生きていると、人やモノとの「思いがけない出会い」や

「偶然の出会い」が日々あるものです。

「邂逅」とは、更に言えば、

通常のありきたりな出会いではなく

魂と魂がぶつかり合うような、人生を変えるほどの重要な出会いのことであると、私は解釈しているのですが、

それに巡り合う能力のことを「セレンディピティ」と言います。

出会いは日々たくさんあるのですが、

その中から一生をかけて付合うほどの「魂の出会い」を見いだすためには、
出会った人やモノから、それを感じ取る能力が必要です。

でなければ、せっかくの出会いも、単なる「知った」で終わってしまうのです。


では、どうすればそれを見いだせるのでしょうか?

常日頃から

「自分は何のために生きているのか?」

日常生活において、人生や仕事に問いかけを持ち、自分自身の中に問題意識を持つことこそが、出会った人を魂レベルで感じることができる、唯一の方法ではないのか?
と私は思います。



プライベートやビジネス、

そして、このブログや他のSNSにおいて、これまで沢山の皆様に出会うことができたことは、とても有り難いことです。


中には、まだ実際にお会いしてもいないのに、「邂逅」と言うべき素晴らしき出会いを感じ、
生涯の友という「縁」にまで繋げさせていただきたいと願う友人ができたことを、深く感謝しています。


今後も更に素晴らしいご縁を賜りたいと願いながら、

日々、たわごとを喋り続けるオヤジです ^ ^