今を大切にする

身近に、とても心配性な人が居ます。

「大丈夫だよ、なんとかなるって」と笑っても

まったくムダなようですが、

未来のこと・・・まだ起こってないことを

アレコレと心配したって何も始まりません。

未来のことは未来の自分に任せて、

今すべきことに集中して全力を尽くすことが、

大切なんじゃないのかな?

子供と遊んでると、よく気付かされます。

いつも全力で遊んでるんですよね。

「疲れるから、少し休憩しろよ」

「朝っぱらからそんなに全力出してたら、

今日一日身体がもたないぞぉ」

なんて、心配してみても、

そんなことおかまい無しで

転びながら必死で走り廻ってます。


確かに考えてみれば、

子供が明日のことや、自分の体調を考えて

ペース配分をしながら遊んでたら気味が悪い。

明日のことさえ忘れるくらい

今という時間に夢中になり、そして大切にすれば、

未来のことなど、

なんの根拠も無く信じられるような気がします。

今を大切にして楽しむ人を、

未来は応援してくれるんじゃないのか?

なんて思ったオヤジです。

叱りの達人

どうやら、なぜか皆さんからは
「温厚なオヤジ」だと評価をいただいてるようですが、
私だって時折、鬼のような形相で
怒鳴ってしまうことがあります。

不幸にも、初めてこの被害に遭ってしまった方は
かなりのショックを感じられるようで、
大変申し訳なく思ってはいるのですが・・・



実は私にも、すでに亡くなってしまいましたが、
「叱りの達人」と私が勝手に銘打った
心の師がいらっしゃいました。

普段どんな失礼な言動をしても
穏やかに笑って下さっているのにもかかわらず、
突如形相が一変して、鬼に変貌することがあるのです。

今でも鮮烈な記憶として残っているものに、
こんなことがあります。

ある共通の知人に関する噂話の流れから
うっかり私の主観を言ったところ、

突然テーブルを叩きながら

「オマエはそんな立派な人間か!!」

「口が裂けても、人の悪口は言うなー!!」と、

一時間にも及ぶ説教を受けたのでした。

私としては悪口のつもりではなかったものの、
言い訳など通じる筈もなく
この状況から早く逃れたいとの一心から、

「肝に銘じて、もう言いません」と
土下座して謝ったものでした。

おかげで、この方が亡くなった今でも
自分がうっかり人様の悪口を言いそうになると、
この時の光景が瞬時によみがえり、

「オット!! ヤバイ・・・」と、
言葉を飲み込んでしまうのです。

人を叱るというのは、とても難しいことです。

しかし「軸がぶれていない叱り方」というものは
必ず相手の成長を助けるものだと思うのです。

かくいう私も、この「叱りの達人」によって
とてつもない勢いで、
精神的な成長を助けられたのではないかと
感謝しているしだいです。

「子供や部下を上手く叱れない」と
時折ご相談を受けることがありますが、

アナタ自身の「軸」はブレていませんか?

アレもコレも怒っていては何の意味もありません。
何を叱るのかという基準をしっかりと定め、
一時の感情で「怒る」のではなく、

相手の成長を願うことを目的として
愛を込めて「叱って」あげて欲しいと願う
オヤジなのです。

自分の未来像

人は、自分が過去に蒔いたものを
今、刈り取りながら生きていますが、

同時に、未来に収穫したいと願うものを
まさに今、蒔きながら生きているんですね。

それは、食事をとったエネルギーで
その後の活動しながら、

同時に、その活動は未来の食事を得るための
作業であることと共通しています。

今の自分自身を形成しているのは
すべて、過去の自分の思考と行動だということを
私たちは忘れてはならないと思います。

今、この一瞬一瞬に決定することが、
常に未来の自分を形作って行くということを
しっかりと心に刻むことができれば、

未来の自分は、どんな自分にもなれる筈です。

今、自分は何を選択しているのだろう?

現在の自分の選択は
来るべき未来の、自分の理想像なのか?

自分の未来像が決定するのは決して未来ではなく、
まさしく今、この瞬間なのだということを

改めて心に刻みたいものだと思うオヤジです。