気づきとは?

昨夜、若い方達の勉強会に呼んでいただき、楽しい時間を過ごしましたが、
その中でこんな質問をいただきました。

「気づきってなんですか?」

う〜ん・・・「なんですか?」と問われてもね、
「きっと、なにかに気付くことなんでしょう」

アハハ・・・冗談です。

もちろん「気づき」とは「なにかに気付く」ことなんですが、
本当の気づきとは、とても深いところにあるんです。

本を読んだり、人との会話の中で何かを学び、それによって色んなことに気付くことはありますが、

本当の気づきには自分自身の体感が必要不可欠なんです。

自分自身がそれまで知らなかった事を知った時、
「オオーッ!! そういうことだったんかぁ!!」と、納得する瞬間がありますね。

体感という「思考の外側」で突然理解できることを「腑に落ちる」と言うんですが、

これがないと、解ったような気がするだけで、知識としては蓄積できますが自分のものではありません。

腑に落ちるっていうのは、もう「身体ごとわかった!!」って感じなんですよね。

この気づきを体感してしまうと100%自分の中に納まるので、気づいた内容すら忘れてしまうんです。

それが自分の中で当たり前の事ものになってしまうから、気付いたという意識さえも消えて無くなっちゃうんです。

こうしてしっかりと「腑に落とした気づき」は、心に吸収され蓄積していくので、
いつの間にか、完全に自分自身の実となったものが、必要な時に自然と目覚めるものなのです。

不快指数計

先刻、ホームセンターへ行ったんですよ。

店内をウロウロしてたら、温度計のコーナーに「不快指数計」ってのがあったんですよ。

マッ、それがどうって訳じゃないんですが、ちょっとした疑問が湧きまして。。。

「不快指数計」って、現在の湿度指数によって不快度を表すものだと思うのですが・・・

ということは、こんな感じなのでしょうか・・・?

自分自身が不快だと思ってないのに、指数系が『不快』の値を指してる場合、

「ヤバイ!! 不快に思わなくては!」となるんでしょうか?
それとも、不快指数が不快を指しているにも関わらず、自分が不快だと感じなかった場合、「エッ・・・オレっておかしいの?」思わなければならないんでしょうか?

一体どこらあたりを基準にして、「快適」「不快」を決めてるのか知りませんが、

不快指数によって「今、快適なんだ!」とか、「ア〜ア・・・不快なんだ 」なんて、勝手に決めてもらう必要が果たしてあるのか?と思う訳です。

マッ・・・そんな下らないことを考えてしまう、私の脳みそ自体が異常なのかも知れませんが。

結局、周囲の目を気にしながら、「そんなことテメエで考えるわ、ボケッ」と指数計をつかまえて説教してやりましたが、

指数計にしてみりゃ、グダグダ言いがかりをつけてる私なんて、かなり不快指数度の高いオヤジでしょうね。

赤ちゃんステッカー

車のリアガラス等に

『赤ちゃんが乗っています』

と書かれたステッカーが張ってあるのを見かけます。


私はかねがね、そのステッカーを見ながら

「ゆっくり走ってても勘弁して下さいね」

また「むやみにクラクション鳴らして

赤ちゃんをビックリさせないでね」

という意味合いだとばかり思っておりましたが、

先ほどネットで、このステッカーの本当の意味を知りました。


実はもともと安全運転などの目的で作られたものではなく、

以前アメリカで起こった自動車事故が

発端であったということです。


その自動車事故の際、事故の衝撃によって

赤ちゃんがシートの隙間に挟まってしまったのですが、

レスキュー隊が、その赤ちゃんに気づかずに

全員救助したつもりで作業を終えたため、

幼い命を救うことができなかったとの教訓から

万一の事故の際に、速やかな救助ができるようにと

作られたステッカーだということでした。


一枚のステッカーに込められたメッセージの重さに、

胸が締め付けられる想いになってしまいました。


いずれにせよ、大切な子供たちの命は

私たち大人が守ってやらなければならないと、

あらためて強く感じたオヤジなのでした。