間違い電話

近頃スマホの調子が悪いのか、はたまた私がボケはじめている兆候なのか?失敗の連続です。

電話を掛けようとアドレスをスクロールしていると、うっかり違う人の名前にタッチしてしまい、間違い電話をかけまくっております ^ ^;;

アッ!! しまった!! と思ってもすでに遅し、
「もしも~し」と相手の声に、「すんませ~ん・・・間違えました!!」と、
以前はひたすら謝り続けておりましたが、

ある時から方針を変更いたしました(方針なんてものでもないんですが・・・)

「間違って押しちゃったら、そのまま話をしてしまえばいいのだ!!」と、
乱暴者のオッサンは気付いてしまったのです。


間違って掛けたくせに、「ご無沙汰してま~す!! お元気ですか?
久しぶりに声が聞きたくなってねぇ!!」

などと、このオヤジの勝手な方針変更により「・・・・??」と思われてる方も、私の周りにはいらっしゃるのではないかなぁ?

ご迷惑をお掛けして申し訳ないと思いつつも、意外と滅多に電話を掛けない相手に対しては間違い電話は良い機会になり、

用事もなかったくせに長話になってしまったという、予期せぬ結果を生むこともありますので、これは良い副産物だと勝手に解釈してしまう能天気なオヤジです。

ただ・・・深夜にクライアントに電話をかけて、「声を聞きたかった」なんて言い訳はできませんけどね。

変なタイミングで私から電話があり、

「イヤー・・・声が聞きたくて掛けちゃった!!」なんてオヤジがほざいた時は

「コイツめ、間違えやがったな?」と疑いつつも、
知らないフリして世間話に付合うという、生暖かく広い心で

どうか対応下さいますよう、よろしくお願い致します。

猫に小判

モノに対する価値観なんてものは
それを受け止める人によって大きく変わるものです。

先日お客様がお見えになった時
木箱に納まった素敵な日本酒を頂戴しました。

酒を飲まない訳でもありませんが
どちらかと言えば甘党オヤジなものですから、

誰か酒好きな奴が来たら飲ませてあげようと
しばらく置きっぱなしにしていたところ

昨夜、家内がキッチンで調理中
「料理酒が切れてる!」と騒ぐのを聞き

「酒ならもらったのがあるじゃねえか」と
いただいた酒を取り出すと、

「そんな上等なお酒を使っちゃっていいの?」
と言いながらも

「ラッキー!」と封を切ってしまいました。


あとでネットで調べてみたら
なにやら大吟醸の銘酒とのことで

2万円以上するお酒だったんですね。
アララ、もったいない ^ ^;;


モノに対する価値感や思い入れというものは、
人それぞれで全然ちがいますから

どんなに価値あるワインやお酒であっても、
アホなオッサンの手に渡ってしまえば

まさに、猫に小判的な不当な扱いをされて、

銘酒と呼ばれる酒が料理酒として

調味料と肩を並べるという悲劇を生むのです。


たとえば、素晴らしい巨匠の名画であっても
それに価値を見いだせない人にとっては、
ただの落書きにしか見えない場合もある訳で

実際のところ

すべてのモノには価値があると言える一方で、
すべてのモノには価値などないとも言えます。

本来は「自分自身が、何に価値を見いだすのか」
ということのみが重要であり、

世の中の多数の人が「価値がある」と言うから
自分もその価値を感じるというのではなく、

周囲に影響されず、自分自身の価値観
すなわち、自分の尺度で生きることができたら

きっと心豊かな毎日を過ごせるのではないかと思う
いい加減なオヤジです。

心の栄養

ネットでなんでも検索できる時代になり、
ほとんどの情報はパソコンで事足りるようになりました。

でも「必要な情報」と「こころの栄養」というものは、きっと違うのでしょうね。

暇さえあれば本屋を覗くのは何故だろう?と考えてみると、本の匂いが好きなのかな?なんて笑ってしまいますが、
時折、ふと棚から手に取った本が、自分の人生まで変えてくれたという経験は、まさに「本とは出会いだんだなあ!!」と感じます。

その時々に、自分の心が探しているものを、本棚から神様が導いて下さってるのでは?なんて思うことがあります。

だから、本屋へは特に用事がなくても「神様、なにかお薦めの本はありますか?」なんて気持ちで寄ったりすることがあるんです。

パソコンが勧めてくれる本は、あくまでもコマーシャルですからね。

変態気質の私などは、「ベストセラー」と言われる本は、意地でも読まないものですから、人様との会話の中で「エッ! 本好きなアナタが読んでいらっしゃらないんですか?」と驚かれることもしばしばです。

また、時折とても素敵なことが書いてあり、「ああ、いいなあ!!」と思っても、高価な本などはそうそう買うのを躊躇う場合がありますが、

そんな時、いつも思い出すのは亡くなった父の言葉です。

そんなに裕福でもない家庭ではありましたが、「ほんの一行でも、心に響く本があったら買いなさい」と、父は、私が本が欲しいと言えば、ためらいもなくお金をくれたものでした。


「本は栄養となって、いつか必ず心の成長を助けてくれる」


と言ってくれた父の気持ちが、


今、つくづく身にしみる年頃になりました。