教養

若い頃「教養のある人」というものに憧れました。

少しでもそれに近づきたいと考えながら
あらゆる分野の本を読み、

ネットの時代に変わる現在も、
できるだけ本を読むように心がけています。

長いあいだ、教養とは「知識が豊富なこと」と
私は認識していたのですが・・・

最近、ある本を読み

その言葉にハッとさせられました。


「人の心がわかる心を教養という」


ふと・・・私の心が溶けるのを感じました。

結婚・・・って

親しくしている女の子が、やけに真面目な声で
「ちょっと相談がある」って言うので、

旦那と何があったのかな?と思ったら、
案の定、離婚を考えているとの愚痴でした。

恋愛結婚から5年目に迎えた
初めて?の危機と言えるものでしょう。

いくら親しいからといっても、
人様の結婚生活や家庭のことに口を挟んだり
偉そうにとやかく言うことは極力避けて、

彼女の愚痴を「ウン、ウン・・・」と
聞くしかありませんが、

そんな中、ふと気付いたことがありました。


「相手を好きになった理由が、
実は、別れる時の理由になるものである」

以前何かの本で読んだ覚えがあります。

自分が気付かないことや出来ないことを
相手が持っているからこそ、
魅力的に見えるのかもしれません。

人は自分と違うものを持っている人に心を惹かれ
そして一緒になりたいと願うものですが、

時間が経つにつれ、
今度は自分と違うところを
不満として感じるようになるのです。

もちろんすべてがそうだとは思いませんが、
人間とはいやはや困ったものです。

実は、離婚原因のトップは男女とも共通で、
「性格の不一致」だということですが
前述の彼女たちの場合もこれだと言います。

しかしながら、もともと性格なんて
結婚前から一致などしている筈も無く、

好きだからという理由で
必死に合わせていただけなのか・・・
もしくは、違っていても許せると
思い込んでいただけなのかも知れませんから、

今更、性格が云々と理由をつけるのは
互いに無責任であるような気がします。


彼女たちの危機はさておき、
夫婦にとって一番大切なことは何なのでしょう?

それは「常に原点にもどる」ことなんじゃないのか、
なんてオヤジは思うのです。

どんなカップルも、二人で幸せになろうと思って
結婚したんじゃなかったのでしょうか?

これから結婚しようとする方への提案です。

結婚する時は、相手のためじゃなくて
自分の心が幸せになれるかを一番に考えましょうよ。

それでこそ、結婚という判断に自分で責任を持てるから。

そして、結婚したら
今度は相手の心が一番幸せになれる方法を考えましょう。

そしたら、二人とも幸せな人の隣に居られる筈。

なんて思った無責任オヤジなのでした。

他人の評価

あれこれと他人からの評価を気にする人が居ます。

「そんなこと気にしなくてもいいんじゃないの?」と

私は思うんですよね。

人それぞれに、違う物差しを持っているんだから、

評価もちがって当然のこと。

短い物差しもあれば、長い物差しを持つ人も居ます。

だいいち、人って結構デコボコしてて平面じゃないんだから

簡単に物差しで測れるようなものじゃないんですよね。

だから、他人の評価にとらわれすぎる必要はありませんよ。

逆に、評価っていうものは

「それを評価する人を見るための物差しである」と思えば、

以外と楽しめるんじゃないのかな