あばたもえくぼ

昔から「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」という
言葉がありますね。

好きな人の目には、相手のあばたも
えくぼのように見えるという喩えです。

ひいき目で見てしまえば、
どんな欠点でも長所に見えるんですよね。

でも反面、愛は盲目であり、
客観的な見方ができなくなってしまうという
警句のことばでもあります。

これを人の魂の成長という視点からみると、
大切なことなんだなぁ、と気付きました。

自分に対して「あばたもえくぼ」と
常に自分の味方をしてくれる人が居るならば、

何かに失敗して評価を下げることがあっても、
それを恐れずに挑戦できるだけの安心感と、

失敗したとしても、そこから学ぶことで
いつも前向きに取り組んでいくための
エネルギーを与えてくれるような気がします。

人の魂が豊かに成長していく過程では、
必ずそういう人がそばには必要なんでしょうね。

きっと多くの場合、
この役は、母親が演じてくれているんですよね。

通常は「親バカ」という一言で片付けてしまえば
終わりのようなものですが、

母親の深い愛情に包まれているという実感は、
歳をとればとるほどに実感してしまいます。

本当にありがたいものです。
感謝しなければなりませんね。

ここだけの話

「実はここだけの話しなんですけど」と
前置きをされた上で聞くお話がありますが、
実際に「ここだけの話」だったのか?と
疑いかねないことばかりで困ったものです。

先日も、ある仕事がらみの方と二人で
お茶してる最中に、
「ここだけの話」が登場したのです。

話の内容についてはさすがに言えませんが、
相手の方から「あなたを信用してお話しますが」
という前置きで聞かされた話は、
確かにその方しか知り得ない重大な情報でした。

とは言っても、私は弁護士でもないので
守秘義務も持ち合わせませんし、
だいいち、勝手に信用してもらっても困るので、
私がその話を誰かにしたところで
私が咎められる筋合いのものでもありません。

とは言うものの、一応は大人として
言って良いこと悪いことの区別というものは
なんとか持ち合わせているつもりなので、
自分の胸の内だけに留めておくつもりでした。

ところが、その話を聞いてから二週間後の昨夜、
仕事仲間との打ち合わせ兼飲み会の席に着くと、
例の「ここだけの話」で盛り上がってる始末。

私が聞いた話よりも更に詳細な内容を知る者たちに、
「葛西さんが知らなかったとは驚きですね」と
散々突っ込まれながらも、

一応は直接話を伺った方への義理立てとして
知らなかったフリをしてしまったものの、
なんともお粗末な内緒話なものだと
苦笑いをしてしまった次第です。


実は「ここだけの話」というものには
二面性があるように思われます。

「あなたを信頼しているからこそ、
他の人には話せない秘密を話します。
だから、人には絶対に話さないで下さいね」
ということが本来の意味ではあるものの、

人というものは、自分が知り得た情報に
秘密性があればあるほど、
誰かに自慢げに話したいという欲求が強くなるという
困った性質を持つ生き物なのです。

ということは、逆に言えば
ある情報を広めようと思った時には、
「ここだけの話」として誰かに話すことが
より素早い拡散効果をもたらすとも言えるのです。

いい加減さでは他の追従を許さないオヤジではあるものの、
「内緒話」をホイホイと喋ることだけは
良しとしない馬鹿正直なオッサンなものですから、

拡散効果を求めて私に情報提供されたとあれば、
ちょいと情けない気がしてしまいます。

もし私に内緒話を広めてもらおうとお考えである場合は、
残念ながら私のところでストップしてしまいますので
どうか悪しからず。

「内緒にして下さい」と言われたことを
誰が喋ってやるものか・・・と、

意味も無くムキになってる今日のオヤジです ^ ^