叱りの達人

どうやら、なぜか皆さんからは
「温厚なオヤジ」だと評価をいただいてるようですが、
私だって時折、鬼のような形相で
怒鳴ってしまうことがあります。

不幸にも、初めてこの被害に遭ってしまった方は
かなりのショックを感じられるようで、
大変申し訳なく思ってはいるのですが・・・



実は私にも、すでに亡くなってしまいましたが、
「叱りの達人」と私が勝手に銘打った
心の師がいらっしゃいました。

普段どんな失礼な言動をしても
穏やかに笑って下さっているのにもかかわらず、
突如形相が一変して、鬼に変貌することがあるのです。

今でも鮮烈な記憶として残っているものに、
こんなことがあります。

ある共通の知人に関する噂話の流れから
うっかり私の主観を言ったところ、

突然テーブルを叩きながら

「オマエはそんな立派な人間か!!」

「口が裂けても、人の悪口は言うなー!!」と、

一時間にも及ぶ説教を受けたのでした。

私としては悪口のつもりではなかったものの、
言い訳など通じる筈もなく
この状況から早く逃れたいとの一心から、

「肝に銘じて、もう言いません」と
土下座して謝ったものでした。

おかげで、この方が亡くなった今でも
自分がうっかり人様の悪口を言いそうになると、
この時の光景が瞬時によみがえり、

「オット!! ヤバイ・・・」と、
言葉を飲み込んでしまうのです。

人を叱るというのは、とても難しいことです。

しかし「軸がぶれていない叱り方」というものは
必ず相手の成長を助けるものだと思うのです。

かくいう私も、この「叱りの達人」によって
とてつもない勢いで、
精神的な成長を助けられたのではないかと
感謝しているしだいです。

「子供や部下を上手く叱れない」と
時折ご相談を受けることがありますが、

アナタ自身の「軸」はブレていませんか?

アレもコレも怒っていては何の意味もありません。
何を叱るのかという基準をしっかりと定め、
一時の感情で「怒る」のではなく、

相手の成長を願うことを目的として
愛を込めて「叱って」あげて欲しいと願う
オヤジなのです。

自分の未来像

人は、自分が過去に蒔いたものを
今、刈り取りながら生きていますが、

同時に、未来に収穫したいと願うものを
まさに今、蒔きながら生きているんですね。

それは、食事をとったエネルギーで
その後の活動しながら、

同時に、その活動は未来の食事を得るための
作業であることと共通しています。

今の自分自身を形成しているのは
すべて、過去の自分の思考と行動だということを
私たちは忘れてはならないと思います。

今、この一瞬一瞬に決定することが、
常に未来の自分を形作って行くということを
しっかりと心に刻むことができれば、

未来の自分は、どんな自分にもなれる筈です。

今、自分は何を選択しているのだろう?

現在の自分の選択は
来るべき未来の、自分の理想像なのか?

自分の未来像が決定するのは決して未来ではなく、
まさしく今、この瞬間なのだということを

改めて心に刻みたいものだと思うオヤジです。

子どもの躾について

「ウチの子は行儀が悪くて・・・」と
嘆く親御さんがいらっしゃいますが、

本来、行儀の良い子供など存在する筈も無く、
親の身勝手な行儀を強制される子供の方が
被害者のように感じることもしばしばです。

子供の行儀や躾のことは専門家ではないので
偉そうなことは言えませんが、

実際のところ、親自身の礼儀やマナーによって
子供の行儀は自然に身に付く筈だと思います。

裏を返せば、
「子供が親以上に行儀良くなる訳がない」
というの私の正直な気持ちでしょうか。

もちろん、子供が成長する過程において、
自分自身で礼儀やマナーを学びながら、
魅力的な人間になっていくことは可能ですが、

幼い頃においては、両親というものが
子供にとって唯一のお手本です。

ところが、そのお手本であるべき両親の
礼儀やマナーはどうなのだろう?と、
ふと疑問に感じることがあります。

「子供は親の背中を見て育つ」と言われますが、
確かにそれは事実のようです。

子供に礼儀を躾けたいと思うのなら、
まず、親が自身の礼儀を正す必要がありそうです。

そして同時に、他人に対してだけではなく
我が子に対しても姿勢を正すべきでしょう。

子供にぞんざいな態度で接すれば
子供は他者に対して、必ず同じ対応をするのです。

「我が子だから」ではなく「我が子だからこそ」
他の誰よりも丁寧な扱いが必要なのだと思います。

子供を「躾ける」のではなく、
子供が「見習う」手本となる親になるのが

まず先決なのではないだろうかと感じる、
今朝のオヤジなのでした。