猫に小判

モノに対する価値観なんてものは
それを受け止める人によって大きく変わるものです。

先日お客様がお見えになった時
木箱に納まった素敵な日本酒を頂戴しました。

酒を飲まない訳でもありませんが
どちらかと言えば甘党オヤジなものですから、

誰か酒好きな奴が来たら飲ませてあげようと
しばらく置きっぱなしにしていたところ

昨夜、家内がキッチンで調理中
「料理酒が切れてる!」と騒ぐのを聞き

「酒ならもらったのがあるじゃねえか」と
いただいた酒を取り出すと、

「そんな上等なお酒を使っちゃっていいの?」
と言いながらも

「ラッキー!」と封を切ってしまいました。


あとでネットで調べてみたら
なにやら大吟醸の銘酒とのことで

2万円以上するお酒だったんですね。
アララ、もったいない ^ ^;;


モノに対する価値感や思い入れというものは、
人それぞれで全然ちがいますから

どんなに価値あるワインやお酒であっても、
アホなオッサンの手に渡ってしまえば

まさに、猫に小判的な不当な扱いをされて、

銘酒と呼ばれる酒が料理酒として

調味料と肩を並べるという悲劇を生むのです。


たとえば、素晴らしい巨匠の名画であっても
それに価値を見いだせない人にとっては、
ただの落書きにしか見えない場合もある訳で

実際のところ

すべてのモノには価値があると言える一方で、
すべてのモノには価値などないとも言えます。

本来は「自分自身が、何に価値を見いだすのか」
ということのみが重要であり、

世の中の多数の人が「価値がある」と言うから
自分もその価値を感じるというのではなく、

周囲に影響されず、自分自身の価値観
すなわち、自分の尺度で生きることができたら

きっと心豊かな毎日を過ごせるのではないかと思う
いい加減なオヤジです。

正々堂々と

「あなたが間違った時には、決して誰も忘れない」

「しかし、あなたが正しい時には誰も覚えていない」

そうなんですよね。

正しいことをしても

誰も気付いてくれないし

まして、覚えておいてもくれません。


だからといって

「どうせ頑張ったって・・・」

などと思わないで下さい。

神様だけは、ちゃんと見て下さっているんですから。

天を仰ぎ見て・・・

「私は間違ってませんよね!!」と

神様に正々堂々と言える

生き方をしたいものです。

親しき中にも礼儀あり

「親しき仲にも礼儀あり」

この教訓はとても好きなもののひとつです。


親しくない方に対して、礼儀を尽くすというのは当たり前ですが、

親しい人に対しても、場面に応じて礼儀をわきまえるべきである。
というのは、とても素敵ですね。

しかし、歳をとったせいなのか、


更に言い変えれば


「親しき仲にこそ礼儀あり」というのが、


人間関係を更に充実させる秘訣なのではないのか?

と、最近つくづく思うオヤジです。