年寄りの知恵

最近知り合った、87歳のおじいちゃんが居らっしゃいます。

いつもまわりの方に感謝の言葉を投げかけながら、

「おかげさまで・・・ 」と言いながら、

いつもニコニコと笑顔が絶えません。

今朝も近くを通りがかったついでに声をかけ、

少しお邪魔してお茶をいただきながら、

あれやこれやとお話をしましたが、

「アンタみたいに勉強しとらんから、

わたしゃ、な~んも知らんがね」と笑いながらも

私がこれまで何年も掛けて懸命に学んできたことを

いとも容易く、簡単な言葉に置き換えられるたびに

参ったなぁ・・・そんな簡単なことを

オレは今まで偉そうに語ってたのか・・・。と

お会いするたびに、いつも自分の愚かさに気付かされます。


これからもきっと本を読んだり

人の言葉を聞きながら学び続けようと思いますが、

知識として溜め込んでる内はダメだ・・・

年寄りの知恵となるまでに高めなくては、と

あらためて肝に銘じるオヤジなのでした。

赤ちゃんステッカー

車のリアガラス等に

『赤ちゃんが乗っています』

と書かれたステッカーが張ってあるのを見かけます。


私はかねがね、そのステッカーを見ながら

「ゆっくり走ってても勘弁して下さいね」

また「むやみにクラクション鳴らして

赤ちゃんをビックリさせないでね」

という意味合いだとばかり思っておりましたが、

先ほどネットで、このステッカーの本当の意味を知りました。


実はもともと安全運転などの目的で作られたものではなく、

以前アメリカで起こった自動車事故が

発端であったということです。


その自動車事故の際、事故の衝撃によって

赤ちゃんがシートの隙間に挟まってしまったのですが、

レスキュー隊が、その赤ちゃんに気づかずに

全員救助したつもりで作業を終えたため、

幼い命を救うことができなかったとの教訓から

万一の事故の際に、速やかな救助ができるようにと

作られたステッカーだということでした。


一枚のステッカーに込められたメッセージの重さに、

胸が締め付けられる想いになってしまいました。


いずれにせよ、大切な子供たちの命は

私たち大人が守ってやらなければならないと、

あらためて強く感じたオヤジなのでした。

教養

若い頃「教養のある人」というものに憧れました。

少しでもそれに近づきたいと考えながら
あらゆる分野の本を読み、

ネットの時代に変わる現在も、
できるだけ本を読むように心がけています。

長いあいだ、教養とは「知識が豊富なこと」と
私は認識していたのですが・・・

最近、ある本を読み

その言葉にハッとさせられました。


「人の心がわかる心を教養という」


ふと・・・私の心が溶けるのを感じました。