人の痛みがわかる

私と同じく、年老いてから子供を授かった知人が

しみじみとおっしゃいました。

「人の痛みのわかる人間に育って欲しい」と。

この言葉がいつの頃からか

良く聞く言葉になったような気がするのも、

きっと今の時代、自分中心に生きる人が増え、

心ない人間がはびこってきたせいなのでしょうか?

しかし、「人の痛み」を本当にわかるためには

自分自身がまず傷付かなければ

とうてい理解できないような気もします。

好き好んで望む必要もありませんが、

知らず知らずのうちに他人から心を傷つけられ、

痛めつけられることも

心が成長するためには

まんざら捨てたものではないと思えるのは、

歳をとったおかげなのでしょうか?

若くして手足の自由を奪われ

心にも大きな傷をおった詩人が言いました。

「わたしは傷を持っている

でも、その傷のところから

あなたのやさしさがしみてくる」

偉そうに「人が成長するには傷付くことも必要だ」

などという自分の言葉とは裏腹に

私ときたら、スヤスヤ眠る我が娘の顔を見ながら

「どうか、この子が傷付きませんように・・・」と、

神様にお祈りをしているのですから

いやはや、私も身勝手な人間です。

人の値打ち

人の「値打ち」ってなんでしょうね?

「人に自慢するものなど何も無いから」と、

酔って私に嘆いた友人に言いたいんですよ。

人の値打ちって

その人が「持ってるもの」で決まるんじゃなくて、

「人に与えたもの」で決まるような気がするんだよ。

君には大きな財産や

人に自慢出来る知識は無いのかもしれない。

でも、君の暖かい眼差しや人柄によって

どれだけ沢山の人がやすらぎをもらっているのか、

知っているかい?

それが、君の持つとてつもなく大きな値打ちだよ。

その恩恵にあずかっている筆頭が

ひょっとしたら、オレなのかもしれないけどね。

いつもありがとう、感謝してるよ ^ ^

心の放送局

私たちの意識というものは

感度の良いアンテナのようなものだと思います。

ただ、アンテナというものは何でも拾うので、

困ったことに、良い情報だけではなく

悪いものもすべて集めてしまいます。

欲しい情報を集めるためには、目的に合ったチャンネルに

その周波数を設定しなければなりませんが、

「心配だ」という周波数に合わせれば

不安な情報ばかり集まりますし、

「大丈夫!!」という周波数なら

大丈夫という情報が集まって来るのです。

ところが、チャンネルが合っていないと

良い情報も悪い情報も、混信しながらやってくるため、

人はさまざまな情報のなかで

常に迷いながら、不安を抱き続けるのです。

心のチャンネルには

周波数を合わせるためのダイヤルは無く

自分が何かを意識すると、

自動的にそこに周波数が合うしくみになっているようです。

そろそろ混信を続ける周波数からの情報を遮断し、

心の放送局からの情報チャンネルに、

周波数を合わせてみてはいかがでしょう。