私と同じく、年老いてから子供を授かった知人が
しみじみとおっしゃいました。
「人の痛みのわかる人間に育って欲しい」と。
この言葉がいつの頃からか
良く聞く言葉になったような気がするのも、
きっと今の時代、自分中心に生きる人が増え、
心ない人間がはびこってきたせいなのでしょうか?
しかし、「人の痛み」を本当にわかるためには
自分自身がまず傷付かなければ
とうてい理解できないような気もします。
好き好んで望む必要もありませんが、
知らず知らずのうちに他人から心を傷つけられ、
痛めつけられることも
心が成長するためには
まんざら捨てたものではないと思えるのは、
歳をとったおかげなのでしょうか?
若くして手足の自由を奪われ
心にも大きな傷をおった詩人が言いました。
「わたしは傷を持っている
でも、その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる」
偉そうに「人が成長するには傷付くことも必要だ」
などという自分の言葉とは裏腹に
私ときたら、スヤスヤ眠る我が娘の顔を見ながら
「どうか、この子が傷付きませんように・・・」と、
神様にお祈りをしているのですから
いやはや、私も身勝手な人間です。