最上のわざ

昨夜、映画「ツナグ」を観ました。

題名の「ツナグ」とは、
亡くなった人との再会をの仲立ちをする使者のこと。
たった一度だけ、死者との再会を叶える案内人です。

映画の内容はさておき、
登場する樹々希林さんが、映画の中で口ずさむ言葉、
そしてエンディングで流れる詩が
ヘルマン・ホイヴェルス神父の詩だったことに驚きました。

ご存じない方に、是非知っていただきたいと願い、
この詩をご紹介させていただきます。

『最上のわざ』

この世の最上のわざとは何?

楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順におのれの十字架を担う

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても
ねたまず
人のために働くよりも、謙遜に人の世話になり
弱って、もはや人の為に役にたたずとも
親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心で最後の磨きをかける
まことのふるさとへ行くために

おのれをこの世につなぐ鎖を
少しずつ外していくのは、まことにえらい仕事

こうして何も出来なくなれば、
それを謙遜に承諾するのだ

神は最後に一番良い仕事を残して下さる

それは祈りだ。

手は何も出来ないけれど、最後まで合掌できる

愛の恵を求めるために、すべてを成し終えたら
臨終の床に神の声を聞くだろう

「来よ、わが友よ、汝を見捨てじ」と。

作者 ヘルマン・ホイヴェルス

後ろ指をさされる

昨夜、知人たちとの会話の中で

「後ろ指をさされるような生き方はやめようね」

というような話になりました。

笑いながら話に参加しながらも、

実は内心、こんなことを考えてしまいました。

後ろ指をさされる内容についてはさておきますが、

「後ろ指」とは、当然後ろからさされるものですから

明らかに「指される方」は前を向いているのです。

他人の背中を指差し、批判をする側は

その人がナニを見て、

どこに向かっているのか?などとは考えずに

ただただ評価や批判をするのみという場合が

往々にして感じられるような気がするのです。

世の中には二通りの人間が居て、

「変化し続ける人」と「変化しない人」

もしくは

「変わろうとする人」と

「そこに留まろうとする人」の

大きくふたつに分かれるように思います。

そして「変化しない人」は

「変化し続ける人」の背中に向かって

常に後ろ指をさすという仕組みになっているようです。

「変化し続ける人」が何かにつまづいた日には、

それみたことか・・・と、

「変化しない人」は大喜びですが

実際のところ「変化し続ける人」たちは

そんなことなど意にも介さず、

次の目標に向かって黙々と歩むのです。

何となく、そんなことを考えてみたら、

人の後ろ姿を批判するだけの人生よりは、

常に変化しようと前向きに生きることの方が

生き方としては素敵なんじゃないのかなぁ?なんてね。

もちろん、良い意味での「変化」ということではありますが、

「後ろ指をさされる」ということも、

まんざら悪いことでもないような気がする

今朝のオヤジです ^ ^

現在地を知る

数年前から、セミナーやら勉強会で、盛んに「夢の実現法」や「成功法則」を学ぶ皆さんが増えていらっしゃいます。

それは何ら悪いことではなく、とても素敵なことだと思います。

斯く言う私も、そんな類いのことを、良くお話ししてる講師の一人ですから、それにケチを付ける訳にはいかないのですが、
ただ・・・・ひとつだけ、皆さんがそんなことを学ぶ前に考えていただかなければならないことがあるのです。

「夢」や「成功」を掴むということ、
それは、ある意味「目的地にどうやって辿り着くか?」と同じことです。

近頃は便利なカーナビなどもあり、初めての場所でも迷わずに行けるのですが、人生には残念ながらナビゲーションシステムは装備されていませんから、人は常に迷い続けるんです。

例えば、初めて向かう目的地。
これを「夢や成功」に置き換えてみたらどうしょう。

道に迷ったので、その場所のことを良く知る人に、電話を掛けて目的地までの道順を尋ねたと仮定すれば、(これはセミナーや勉強会の講師の話に置き換えられます)
その人が、まず何を言うか想像してみてください。

間違いなく「今、アナタどこに居るの?」と尋ねる筈です。


実は「目的地に向かう」ということの前段階には、必ず「現在地」が必要なんです。

自分が今どこに居るのか解らないのに、やみくもに目的地までの道順を聞こうとしても無理な話で、自分自身の現在地や心の内側を見ようとしなければ、夢や成功について、どんなに素晴らしい話を聴いたところで、なんの意味もないのです。

人はそれぞれに、置かれている立場や状況が異なります。

目的地は同じでも、すべての人の現在地が違うのです。

セミナーや勉強会での話をどう受け止め、そしてどのように素敵な未来へ方向転換して行くのかは、現在地を知る自分自身でなければ決められない筈なんだけどなぁ・・・と、ふと思った今朝のオヤジです。