ヒツジ

世の中には「こうであるべき」ということに

がんじがらめになっている人が

やけに多いように思えます。


「人としてどう生きるべきか?」

「夫として、妻としてどうあるべきか?」

「父親として、母親としてどうあるべきか?」

「男として、女としてどうあるべきか?」


その他諸々の「どうあるべきか?」ということ。

本来、すべては自分自身が決めることなのですが、

多くの人は世間の標準である「べき」という定義に

自分を当てはめようとしてしまいます。

十人十色と言いますが、

すべての人のあるべき姿は違って同然のこと。

無理に世の中の基準を満たそうとする

つまらない努力から解放されれば楽な筈なのに、

きっと自ら「標準」であることが

群れの中に生活するヒツジにとっては

ある種の安心感を覚えるのでしょうね。


せめて、自分自身の生き方くらい

他人の真似をしなくてもいいんじゃないかと思う

困ったオオカミ気質のオヤジなのです ^ ^

ことなかれ主義

ここ数年ご無沙汰していた知人から、突然電話をもらいました。

聞く所によると、会社のリストラ候補にあがったらしく、肩叩きをされたので転職先を探しているとのこと。

私の取引先の中堅企業に勤務する彼は、社内でも重要なポストに就いていたのですが、私の知る限りでは、きわめて安定志向の人間であり、言い換えれば「ことなかれ主義」といった人間の一人でもあったような気がします。

私たちは誰でも、自分や家族の人生が平穏無事であることを願うものですが、そうは言っても現実は厳しいもので、人生には予期しないできごとが次々と持ち上がり、自分の思い通りにはならないものです。

決して「ことなかれ主義」が悪いなどと、批判しようとは思いませんが、ひたすら何事も起こらないようにと、無事ばかりを望む消極的な姿勢は、ある意味「現実からの逃避」に他なりません。

人生の逆境時に必要な「人間力」を育てるのは、現実においての経験だけであり、それによって人は逆境に立ち向かえる筈です。

現代社会においては何処を見渡しても「安定した場所」など無いように思えますが、実際には「安定した人」という人間は存在するのです。


会社を例に挙げれば
「この人はリストラの対象にはならないだろうなぁ?」と思う人が居て、
「仮に辞めたとしても食いっぱぐれはないだろうなぁ」なんて想像する人物が、世の中には大勢居るものです。

何故ならば、その人が「会社にとって必要な人間」だから、会社がどんな状況に陥ったとしても、決して手放すことの出来ない存在だからです。

会社にとって「欠かせない」人間であり、また、顧客にとっても「必要」な人間であること。
すなわち周囲から「求められる」人間は、どんな時代においても生き残るのです。

本物の安定というものを求めるのなら、「ことなかれ主義」という間違った安定を求めるのではなく、周囲から常に求められ続ける「存在価値」を持つ人間になるための方向転換こそが、
今の時代における、より確実な「安定志向」なのではないのかな?なんて、ふと思ったオヤジなのでした。

あやつり人形

目に見えるものは、「重力」という形で
地面に向かって働いています。

そして、目に見えない力は
天に向かって働いています。

すなわち、
私たちは天から頭を引っ張られ
そして、地に足を引っ張られながら、

その間に立つことで
「あやつり人形」のように
存在しているように思えるのです。

「あやつり人形」という言葉には
いささか語弊がありますが、

実際、人間などというものは
いくら偉そうなことを言ったところで、

天の力を常に身体全体で受け止めなければ、
立つことも出来ない、ちっぽけな存在なのです。

日々の暮らしの中では
思うようにはままならないことがあり過ぎて、
人は地面にしゃがみ込みがちですが、

苦難に直面した時こそ、見えない力を信じて、
シャキッ!!と立ち上がり、姿勢を正すことが

天からの力を最大限に受けるためには
必要なことなのではないだろうか?

なんて思うオヤジです。