あやつり人形

目に見えるものは、「重力」という形で
地面に向かって働いています。

そして、目に見えない力は
天に向かって働いています。

すなわち、
私たちは天から頭を引っ張られ
そして、地に足を引っ張られながら、

その間に立つことで
「あやつり人形」のように
存在しているように思えるのです。

「あやつり人形」という言葉には
いささか語弊がありますが、

実際、人間などというものは
いくら偉そうなことを言ったところで、

天の力を常に身体全体で受け止めなければ、
立つことも出来ない、ちっぽけな存在なのです。

日々の暮らしの中では
思うようにはままならないことがあり過ぎて、
人は地面にしゃがみ込みがちですが、

苦難に直面した時こそ、見えない力を信じて、
シャキッ!!と立ち上がり、姿勢を正すことが

天からの力を最大限に受けるためには
必要なことなのではないだろうか?

なんて思うオヤジです。

あばたもえくぼ

昔から「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」という
言葉がありますね。

好きな人の目には、相手のあばたも
えくぼのように見えるという喩えです。

ひいき目で見てしまえば、
どんな欠点でも長所に見えるんですよね。

でも反面、愛は盲目であり、
客観的な見方ができなくなってしまうという
警句のことばでもあります。

これを人の魂の成長という視点からみると、
大切なことなんだなぁ、と気付きました。

自分に対して「あばたもえくぼ」と
常に自分の味方をしてくれる人が居るならば、

何かに失敗して評価を下げることがあっても、
それを恐れずに挑戦できるだけの安心感と、

失敗したとしても、そこから学ぶことで
いつも前向きに取り組んでいくための
エネルギーを与えてくれるような気がします。

人の魂が豊かに成長していく過程では、
必ずそういう人がそばには必要なんでしょうね。

きっと多くの場合、
この役は、母親が演じてくれているんですよね。

通常は「親バカ」という一言で片付けてしまえば
終わりのようなものですが、

母親の深い愛情に包まれているという実感は、
歳をとればとるほどに実感してしまいます。

本当にありがたいものです。
感謝しなければなりませんね。

iPhone カムバック

一昨日から行方不明になっていたiPhoneが、

無事に戻ってまいりました。

当初は必死に捜索活動を行っていたものの、

いい加減なオヤジなものですから

ヤツが消えたことさえも忘れてしまうという

凄まじい忘れっぽさから探すことも忘れていた頃、

ヤツは意外なところから顔を出したのでした。


昨夜、幼い娘が食い散らかしたクッキーを

ブツブツ文句を言いつつ拾い集めながら、

私が普段から愛用しているソファーの

隙間に入り込んだ菓子のかけらを取ろうと

手を差し入れたところ、

なんと・・・

そこにヤツは身を潜めておりました。

捜索願いを出してから一日半余りも、

私のケツの下に隠れていたとは・・・


「オマエもなかなかやるじゃねえか」と

叱らずに大人の対応でヤツを褒めながら

久しぶりの対面を共に喜び合いました。



しかし、まったく想像もしなかった場所を

探すきっかけを与えてくれた娘に感謝。

「こんなに食べ散らかすんなら、

もう買ってやらないからね!!」と、

娘を怒ってしまったことを少々反省しつつ、

明日もお菓子を買ってやらねばと、

相変わらず、娘に弱いオヤジです ^ ^