先入観を捨てる

ビジネスにおいて、提案やアドバイスなどをさせていただく機会が数多くあります。

そんな場合、もっとも難しいのは、私の提案を受け入れてもらうことではなく、その方の持っている、もともとの先入観を捨ててもらうことなんです。


人間というものは勝手な先入観や思い込みによって、自分自身を縛っていることが殆どですから、端から見ると、何故そんなことに?と、不思議に思うような「こだわり」を持ったり、頑なに「変化」を拒む方がいらっしゃいます。

「変わらない」ということは、ある面においてはとても重要なことですが、それは「そこに留まる」ことではありません。


たとえば「老舗」と言われるほどに永い歴史を持つ店がありますが、その店は、100年・200年ものあいだ、ずっと変化しなかった訳ではないのです。

時代に合わせて少しずつ変化することで、老舗となって行くのです。

「変わってはならないこと」と

「変わらなければならないこと」

これをしっかり考えなければ、時代の変化に取り残されてしまいます。

「刻々と変化する柔軟なこだわりを持つ」

一見矛盾しているようですが、常に「変化」と「不変」を併せ持つ柔軟な心構えと姿勢であることが、本当のこだわりなのだと私は思います。

あなたの持つ先入観や思い込みは、自分にとってそんなに重要なものですか?

それを捨てて、自由になったらどうでしょう。

きっと、あらゆることに可能性を見いだすことができる筈だと思う今日この頃です。

幸せ

「幸せになりたい」と思うんなら

「今が、そのまっただ中に居る」と思えばいい。

幸せはいつだってそこにあるのに

ただ、うっかり気付かないだけ。

自分が「幸せだなあ!!」って思ったことが、

「そんなの幸せじゃないよ」と誰かに否定されたら、

ひょっとして不安になるのでしょうか?

自分の気持ちと、他人の評価・・・

いったい、どちらを信じるのですか?

幸せの基準を外においてしまうと、

いつのまにか、今の自分が幸せかどうかも

人と比べなければ解らなくなってしまいます。

いつでも「今が幸せだ」と感じられるのかって、

なんとなく、神様に試されているような気がします。

近頃こんな風に感じ始めました。

「幸せ」もきっと、その存在を解ってくれる人・・・

そして、喜んでくれる人のそばに居たいだろうから、

「幸せだなぁ」と感じてくれる人のそばに

やって来るんじゃないのかな・・・?ってね。

夫婦漫才

仕事で近くを通りかかったので、

親しくしている老夫婦を久しぶりに訪ねました。

お二人ともお元気そうで安心しましたが、

80歳を過ぎたご主人は相変わらずの毒舌家で

「アイツは馬鹿でコイツも馬鹿・・・

まったくロクな奴がおらん。

オレならもっと上手くやってやるのに」と、

政治家や役場のお偉いさんたちの話題を

アレコレと持ち出しては、怒り心頭のご様子。


まっ、いつものことなので、

「アハハ・・・困ったものですねぇ♪」と

笑いながら聞いてたんですが、

奥様の方といえば、

これもまた、いつものことで、

お茶を入れて下さいながら

「オジイさん、そんなに人様のことを

悪く言うもんじゃありませんよ」と

ご主人をなだめたり叱りながらも、

やがて

「本当にこんなに偉い人が、

私みたいなものと一緒に居て下さるんだから

なんだか申し訳ないみたいですよねぇ。

ありがたやありがたや」と、手を合わせながら

私に目配せして笑っていらっしゃる。


本来なら、過ぎるほどの毒舌を吐くご主人に対して

それを帳消しにするようにフォローし、

絶妙の合いの手をお入れになる奥さん。

いつもながら、夫婦漫才を見ているような

心地よい感覚を覚えながら、

このご主人が、影で奥さんに支えられてこそ

好き勝手に毒舌が吐けるように、

きっと私も気付かないところで、

家内に支えられるんだろうなぁ・・・と、

あらためて妻というものの有り難さを感じた、

毒舌家のオヤジなのでした。