頭を低くする

「目の前に現れた枝は、

折らなくても姿勢を少し低くする事で、

すんなり通ることが出来る。」

書籍名は忘れてしまいましたが・・・

昨日、出張先でふらりと書店に入り、

何気なく手に取った本に書かれていた言葉に

心を惹き付けられました。

生きていれば、

人間関係で悩むこともあるでしょうが、

ぶつかろうとしないで、

少しだけ頭を低くして屈むことができれば、

無用な争いは避けられる筈だと、

あらためて気付かされた言葉でした。

正直に

ある方に、こんなメールをいただきました。

「貴方はそんなに偉いんですか?

悟ったような素晴らしい言葉を綴っていらっしゃいますが、

実際、ご自身はどうなんでしょう?

上から目線はさぞ気持ち良いことでしょうね」

アハハ・・・確かにおっしゃる通りです。

私は偉くも悟ってもおりませんので

どうかお許しください。

本当に私が立派な人間なら、

こんな下らないことは

きっと書くはずもないでしょう。

私自身がどうしようもない男だからこそ、

神様と対話しながら必至に救いを求めているんですよ。

人が人を導くことも、救うこともできない・・・

それは神様だけができることだと私は信じています。

だから、神様だけには正直に

そして人に対しても誠実であろうと心に決めています。


貴方が私に怒りを感じたのは、

私が神様からいただいたメッセージが

きっとご自身の胸に突き刺さったからだと私は感じています。


ここに明記しておきます。

私は、過去に愚かな罪や失敗をくりかえし、

現在それをどう償えば良いのかと

毎日を必至であえぎながら、

人ではなく神様に対して、

許しと導きを得ようとしている

どうしようもない男なんです。

これからも私は自身のブログに

神様への感謝の言葉を綴って参りますが、

どうかご容赦下さい。


マザー・テレサがこんな言葉を残して下さいました。

「あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい」

人の痛みがわかる

私と同じく、年老いてから子供を授かった知人が

しみじみとおっしゃいました。

「人の痛みのわかる人間に育って欲しい」と。

この言葉がいつの頃からか

良く聞く言葉になったような気がするのも、

きっと今の時代、自分中心に生きる人が増え、

心ない人間がはびこってきたせいなのでしょうか?

しかし、「人の痛み」を本当にわかるためには

自分自身がまず傷付かなければ

とうてい理解できないような気もします。

好き好んで望む必要もありませんが、

知らず知らずのうちに他人から心を傷つけられ、

痛めつけられることも

心が成長するためには

まんざら捨てたものではないと思えるのは、

歳をとったおかげなのでしょうか?

若くして手足の自由を奪われ

心にも大きな傷をおった詩人が言いました。

「わたしは傷を持っている

でも、その傷のところから

あなたのやさしさがしみてくる」

偉そうに「人が成長するには傷付くことも必要だ」

などという自分の言葉とは裏腹に

私ときたら、スヤスヤ眠る我が娘の顔を見ながら

「どうか、この子が傷付きませんように・・・」と、

神様にお祈りをしているのですから

いやはや、私も身勝手な人間です。