国道での奇跡

夕方、仕事帰りに国道を走っていた時のことでした。

信号待ちで、前の車の後部座席に二・三歳くらいの女の子が
リアウインドゥに顔をくっつけるようにして後ろを見てたんです。

「アレレ・・・あの子、チャイルドシートに座ってないんじゃないかな?」
運転してるお母さんらしき後ろ姿の女性は気付いてるのだろうか・・・?

と、少し気になったけど、私が心配してもはじまらない・・・。

可愛かったので手を振ると、ニコッと笑って手を振り返してくれた♪

しばらくお互いに手を振りながら笑ってたけど、
困ったことに、この子がずっと手を振り続けてくれるものだから、
やめるきっかけがつかめなくて・・・
おまけに結構渋滞してたから、続けているうちに疲れて来た。。。

手を振り出してから10分くらい経った頃には、さすがに疲れて
「もう、前を向いて座っててチョーダイ」と、ギブアップしそうになったけど、
女の子は相変わらずニコニコ愛想を振ってくれてる。。。

「もうダメだ・・・勘弁してくれぇ。。。」と思ってたら
迂回路を見つけたので逃亡することにした。

路地をクネクネと回りながら、かなり回り道をし・・・
女の子のことも忘れそうになった頃、元の道路に戻る交差点へたどり着いた。

そして、信号待ちが終わって本線に戻って走りはじめた途端・・・・・

「エエーッ!!!!」と、信じられないものを見た。

マジですか・・・・・。

前を走る車から、先ほどの女の子がニコニコと手を振ってくれてるではありませんか♪

こんなことアリなの??・・・まさにミラクル!!

迂回して戻ってみたら、また同じ車のうしろに付いちゃったよ。

アハハ・・・また逃げ出す訳にもいかず


それから20分余りの間、ふたたび女の子の相手をさせられたのでした♪

行間を読む

よく「本は行間を読め」と言います。

人と会話をしたり、お書きになった文章を読んだりしても

実際のところ、それは氷山の一角に過ぎず、

本人の考えていること、そして伝えたいことなど

他人がすべて理解することなど到底不可能なことでしょう。

だからこそ・・・口から出た言葉、そして書かれた言葉から

どれだけのものを感じ取るのかが

きっと本当の意味で「人を理解するための努力」なのでないか?

と思います。

更に言えば「人を理解する」ということは

単に言いたいことや感情が分かるという一種の「分析」ではなく、

その人が語らなかった、さまざまな背景というフィルター越しに

「本当に伝えたいこと」を感じ取る「聞き手の愛情」こそが、

良い人間関係を築くために、もっとも必要なのではないのか?と、

勝手に思う今日この頃です。

口下手

昨夜遊びにきてくれた友人が、

「話し上手になるにはどうすればいいのか?」

なんてことを言い出しました。

そう言われてみれば、

この友人・・・・・確かに口下手です ^ ^

背の中には話し上手の方がいらっしゃれば、

一方で、口下手な方もいらっしゃいます。

話すということは「伝える」ということですから

上手に話すということは必要なのでしょうが、

「話し上手」より「口下手」の人の方が

意外に好かれることがあるんですよね 。

それはいったい何故でしょうか?

きっと、話すということには

「伝える」ということと「届く」という

二つの要素があるからではないのかな?

なんて思います。

話すということは「伝える」ということですが、

それが相手に「届く」かどうかは別の問題です。

「人と人のあいだには川があるんだ」と想像すれば、

その川を隔てた人にメッセージを伝えるためには

橋を架けなければ届けられません。

橋とは、すなわち感情です。

しかし・・・橋を架けるためには

相手の承諾も必要となる訳で、

一方的に橋を架けようとすれば、

相手に拒否される場合もあるのです。

話し上手の方は、この橋の掛け方が

とても上手で早いため

相手は自分の意思と関係なく橋を架けられたことに

あとで気付くことになるのですが、

一方で、口下手な人の場合は

なかなか橋を架けることができないため、

逆にそれを気遣う相手が、

向こうから橋を架けて下さることになるのです。

相手から橋を架けて下さるということは、

おのずと「聞く耳」を持っているということなので

口下手な方の話は、上手下手ではなく

その朴訥なキャラクターごと

相手が受け入れて下さるという結果になり、

懸命に話す姿勢が、逆に好印象をもたらすという

結果になるのではないのでしょうか? 

そんなことを思いながら、

「オマエは口下手のままがいいと思うよ♪」

なんて、友人に笑ってしまった

昨夜の無責任オヤジでした ^ ^