自分の主観で生きている

なぜ、人に好かれる人がいれば、嫌われる人がいるのでしょう?

年寄りと言えばまさに人間の集大成。
その人がどんな考え方や生き方をしてきたのかは、その人柄を見ればよくわかるものです。

人から好かれて、周りにいつも人が集まるお年寄りもいれば、人から嫌われて、いつも孤独なお年寄りも居ます。

若いうちなら一人でも構わないでしょうし、わずらわしい人間関係などいらない思う人もいることでしょう。

しかし次第に体が弱って体力や気力が落ちてきても、果たしていつまでもそんな強がりを言い続けることができるものでしょうか?

年配者の方を見ていると、ある共通点があることに気づきます。

周りに人が集まる方に見られる特徴は「笑顔」と「人の話をよく聞く」こと。
そして「人の悪口を言わない」。

決して難しいことではないものの、それを長い年月をかけて積み上げるのは、とても難しいことなのです。

いつも笑顔を心がけて過ごしてきた人の顔には「笑皺」が刻まれて、とても優しく素敵であり、そんな人と一緒にいるだけでこちらも心が癒され、いつもそばに居たいと思うものです。

しかし、こういった人は稀であり、大半の年配者の顔はしかめっ面であり、出て来る言葉は常に愚痴や陰口ばかり。

おまけに人の話を聴こうともせず、一方的に自分の苦労話や身内や他人の陰口ばかり言っているような人と、はたして一緒に居たいと思いますか?

いつもそんな仏頂面や陰口を聞かされるのでは、残念ながら人が次第に周りから離れていくのは当然のこと。

年配の方というのは自分の固定観念が強くなりがちなのですが、自分を振り返ることも必要ではないかと思います。

人間関係の中で好き嫌いの激しい方がいらっしゃるものですが、実際のところ「アイツは嫌いだ」とおっしゃる場合、それは自分にとって嫌なヤツなだけで、本来「嫌な奴」という人はどこにも存在しないのです。

私たちが誰かに対して好き嫌いを感じるのは、あくまでも「自分にとって」ということであり、その人の家族や友人たちにとっては、かけがえのない存在である場合がほとんどなのです。

誰にでも毎日使っている愛用のカップやお茶碗というものがあるはずですが、それらは自分が気に入って使っているものの、それ自体は「良い悪い」という存在ではなく、あくまでも「ただのカップと茶碗」なのです。

結局「好き・嫌い」や「良い・悪い」ということは「自分にとって」というだけであるということを自覚すれば、人間関係で生じる不満のほとんどが「自分の主観」であると解決するはずです。

とは言うものの、そんなに簡単に解決しないから、毎日誰かに腹を立てたり、悲しんだり悩むんですよね。