子どもの躾について

「ウチの子は行儀が悪くて・・・」と
嘆く親御さんがいらっしゃいますが、

本来、行儀の良い子供など存在する筈も無く、
親の身勝手な行儀を強制される子供の方が
被害者のように感じることもしばしばです。

子供の行儀や躾のことは専門家ではないので
偉そうなことは言えませんが、

実際のところ、親自身の礼儀やマナーによって
子供の行儀は自然に身に付く筈だと思います。

裏を返せば、
「子供が親以上に行儀良くなる訳がない」
というの私の正直な気持ちでしょうか。

もちろん、子供が成長する過程において、
自分自身で礼儀やマナーを学びながら、
魅力的な人間になっていくことは可能ですが、

幼い頃においては、両親というものが
子供にとって唯一のお手本です。

ところが、そのお手本であるべき両親の
礼儀やマナーはどうなのだろう?と、
ふと疑問に感じることがあります。

「子供は親の背中を見て育つ」と言われますが、
確かにそれは事実のようです。

子供に礼儀を躾けたいと思うのなら、
まず、親が自身の礼儀を正す必要がありそうです。

そして同時に、他人に対してだけではなく
我が子に対しても姿勢を正すべきでしょう。

子供にぞんざいな態度で接すれば
子供は他者に対して、必ず同じ対応をするのです。

「我が子だから」ではなく「我が子だからこそ」
他の誰よりも丁寧な扱いが必要なのだと思います。

子供を「躾ける」のではなく、
子供が「見習う」手本となる親になるのが

まず先決なのではないだろうかと感じる、
今朝のオヤジなのでした。

子供の投稿

ある新聞に、子供からこんな投稿があったと聞きました。

「親って、子供がかわいくて良い子で、

他人に対して親であることを

恥じないでいられるうちは愛するけど、

そうじゃなくなると憎むのよね。

子供そのものを愛しているんじゃなくて、

自分を満足させてくれる子供を愛している。

結局、自分しか愛していないんですよね。

そういうの、子供にはすごくよくわかるんです」


子供は親のことを本当によく見ているんですね。

本当に子供を愛するとはどういうことなのだろう?

私も肝に銘じなくてはと思いました。

センス・オブ・ワンダー

子どもたちの世界は、
いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと好奇心でいっぱいなのでしょう。

もし、私たち大人が
この「センス・オブ・ワンダー」
(神秘や不思議さに驚嘆する感性)を
失うこと無く持ち続けることができるなら、

つまらない人工的なものや金を得ることに
夢中になることなど無いように思えます。

先日、勉強会に参加して下さった若い女性が
こんなことをおっしゃいました。

「子供が夢中になって色んなことを訊いてきても
答えられない自分が情けないんですよね。
自然のことなんて説明もできないし・・・
道ばたの花や、鳥の名前も知らないものですから」

私も娘が幼いせいか、こう思うんです。

自然の現象や、花や鳥の名前なんて
大きくなる過程で、子供たちはいくらでも学べます。

だから、子供にとってはもちろん、
どうやって子供を導けば良いのかと悩む親にとっても
「知識」なんてそんなに重要なことでは無い気がします。

それよりも「感じる」ことを大切に育てていくのが
何より重要なことだと思うのです。

子供たちが日々出合う、驚愕のひとつひとつが
やがて「知識」を欲する因子となるような、

情緒や、豊かな感性を育んでいけるように導くことが
親の役割だと私は感じます。

子供たちに難しい知識を教える必要はありません。

子供たちのそばに、いつも寄り添ってくれている
妖精たちがしてくれているように、

美しいものを美しいと感じる心、
未知なものに出合ったときの感激と好奇心を

一緒に楽しめる親になりたいものだと
いつも思うオヤジです ^ ^